馬岱

名:馬岱(ばたい)
字:不明
-Ma Dai-

出生:不明
生年:不明
没年:不明
享年不明

所属:『馬騰軍』?→『曹操軍』→独立勢力
→『張魯軍』→『劉備軍』→『蜀国』


-伝-
『三国志』
巻36『関張馬黄趙傳』[馬超]伝に記述


-血縁関係-
叔父:[馬騰]
従兄:[馬超]

『真・三國無双』

CV:龍谷修武(※[袁紹]と兼役)
『真・三國無双6』から登場。
[馬超]の従弟として、彼の事を若と呼び付き従う、
陽気な性格なのは、[馬超]のお守役だからなのでしょうか。
『蜀』の後半の話から活躍をしていきます。
『三国志大戦』

[馬超]の従弟であり、
西涼出身ということもあって、
勇猛盛んな印象で描かれることが多い
[馬岱]。
[馬超]をもう少し若い印象にした感じかと。
『ドラマ 三国志Three Kingdoms』

演:陳奕霖
吹替:森川智之

[馬超]のほうが中心に描かれ、目立った活躍は無いのですが、
[諸葛亮]亡き後の展開で、
有名な“ここにいるぞ”のシーンが描かれます。
となるので、相当終盤の活躍になってしまいます。


現在の『モンゴル』に近い地である《西涼》の出身、

『蜀』の五虎大将である[馬超]の従兄弟の弟として彼がいます。

父親が[馬超]とは違い、父親の名前は知られていません。

西涼の豪族出身の一人です。


○来歴

[馬超]の父親である[馬騰]は、[曹操]に反旗を翻したため、

一族を滅ぼされてしまいます。

『三国志』正史では、前歴はほとんど不明で、『馬超伝』に話があります。

『三国志演義』では、脇役ではあるものの活躍が多い人物であり、

[曹操]の[馬騰]誅殺の際に[馬超]と共に生き延び、

[曹操]に[馬超][韓遂]らと共に反乱を起こします。

しかし西暦211年『潼関の戦い』で敗北し、『羌族』の地に逃れています。


●[劉備]に仕えるまで
211年〜214年

[馬岱]は、[馬超]と共に行動していたと言われていますが、

実際のところは明確に伝わっていないのです。

もしそうだとしますと、[劉備]が《巴蜀》の地にやってきたときに、

彼に降伏して仕えています。そして将軍の地位を授かり、

『蜀』の国の建国後、[諸葛亮]の“北伐”に参戦して活躍します。


●[諸葛亮]の“北伐”
〜234年

[諸葛亮]の“北伐”の頃から、[馬岱]の活躍が正史でも見られるようになります。

そんな“北伐”も[諸葛亮]の病で末期のころ、

『蜀軍』の[魏延]の謀反が明確になっていき、

[諸葛亮]は、[魏延]が反乱を起こすだろうと予見しており、後の事を託します。


案の定、[諸葛亮]の死後、[魏延]が謀反を起こし、

「わしを殺せる者はおるか」と言い放った彼に、

「ここにいるぞ」と言い、[馬岱]が[魏延]を斬った話は有名です。


●『蜀国』での活躍
234年〜?年

[馬岱]は[魏延]の爵位を譲り受け、『蜀』の忠臣になったのだと言われています。

実際のところ、この後の[馬岱]の活躍は、『晋書』など、

『魏』側の伝に役を譲ることになり、

235年頃に『魏』に攻め込んだものの、[牛金]らの軍にはばまれ、

損害を出して退却をしたという伝があります。

これが[馬岱]の伝えられている話の最後の部分です。


この後、[馬岱]がどうなっていったのかは知られていません。

いつ死去したかも不明ですが、年齢を考えると、

『蜀』滅亡の263年までは生きてはいなかったと思われます。



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姜維 伯約
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