陸遜 伯言


名:陸遜(りくそん)
字:伯言(はくげん)
-Lu Xun-

別名:諡号:昭侯、初名:陸議

所属:陸家→孫権軍→呉国
出生:揚州呉郡呉県
生年:光和6年(183年)
没年:赤烏8年(245年)
享年62歳


-伝-
『三国志 呉書』
巻58『陸遜傳』[陸遜]伝


-血縁関係-
父:[陸駿]

弟:[陸瑁]

子:[陸延][陸抗]
孫:[陸機][陸雲]
『真・三國無双』

CV:野島賢治
若き孫呉の軍師として登場するこちらの「陸遜」は、
理知的ながらも非常に若々しく、
特に『夷陵の戦い』などで活躍するのは、
『三国志』ではお約束となっています。
その顔立ちの良さに女性ファンが非常に多いのだそうで。

『三国志大戦』

やはり美男子として登場の「陸遜」。
しかしながら、『孫呉』に長く仕えたこともあって、
おじさんの姿のバージョンもあったりします。

ドラマ『三国志 Three Kingdoms』

『樊城の戦い』『夷陵の戦い』を中心に登場。
本当は髭がないと一人前と
認められない時代なのであれですが、
『呉』のメインキャストとなっています。
ちなみに字が異なっており、
このドラマでは“昭候”になっています。



○来歴

若い軍師や優秀な武将たちを失ってしまった「孫権」の元にやってきた、

若き軍師、それが「陸遜」になります。

その出生は、『陸氏』。呉郡の有力豪族として知られており、

彼は幼くして、本家筋の「陸康」を頼るようになります。


「陸遜」は当初は『孫権軍』と争いを繰り広げる中であったものの、

荊州で「呂蒙」が「関羽」と対峙していたとき、

「呂蒙」が病気になってしまったことから、「陸遜」の才能を「孫権」に進め、

「呂蒙」と「陸遜」は結託して、「関羽」を倒します。


この功績によって、「陸遜」は若くして、右護軍・鎮西将軍・婁侯になるのでした。

やがて『蜀』の皇帝となった「劉備」との『夷陵の戦い』が起こるのですが、

「陸遜」は『蜀軍』の挑発には乗らず、火攻めなどで攻撃、

「劉備」を追撃して、彼を病死にまで追いやることになるのですが、

「陸遜」は『三国志演義』などでも悪者とは扱われず、

美男子と描かれるようですね。


その後、『魏』と『呉』の間で抗争が始まります。

「陸遜」の活躍もあって、『呉』の領土は守り抜かれ、

「陸遜」は、244年には丞相にまでなるのですが、

「孫権」の後継者争いに加担して、彼と非常に不仲になってしまい、

失意のままに死去してしまいます。享年62歳。


と、最後まで『孫呉』のために尽くした知将で、

『三国志』の軍師としては、「諸葛亮孔明」とならんで、

「陸遜伯言」も一巻がわざわざ割かれているほど評価が高く、

知略のみならず、忠誠心も評価されているのです。


子孫は残念ながら、後の『西晋』の時代に断絶してしまいました。

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大喬
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