×

[PR]この広告は3ヶ月以上更新がないため表示されています。
ホームページを更新後24時間以内に表示されなくなります。


呂蒙 子明


名:呂蒙(りょもう)
字:子明(しめい)
-Lu Meng-

所属:孫策軍→孫権軍
出生:汝南郡富陂(安徽省阜南県)
生年:178年(熹平7年、光和元年)
没年:220年(建安25年、延康元年)
享年:42歳


-伝-
『三国志 呉書』
巻54『周瑜魯粛呂蒙傳』[呂蒙]伝

『真・三國無双』

CV:堀之紀
二つ名は、「知勇の士」
武勇がありそうな印象ではありますが、
智勇を持った智将とされており、
「凌統」「甘寧」のあいだに入って諌めたり、
「陸遜」の軍師としての師匠という姿です。
最近、一段と格好良くなりました。

『三国志大戦』

「関羽」を倒すほどの武勇がある。
という意味があるのでしょうか、
猛将のような印象で登場しています。
別のカードには若い頃の彼の姿もありますね。

ドラマ『三国志 Three Kingdoms』

吹替:成田剣
『呉』のメインキャストの一人。
悪役のような姿はなく、若くして「孫策」から仕え、
後に「関羽」と激突します。
故にどことなく若い印象で登場しますね。



○来歴

「呂蒙」は、もともとは、『孫策軍』の領地で若い頃から『山越』などの討伐に従事。

しかし若すぎる事もあって、馬鹿にされているようなこともあったそうですが、

「孫策」「孫権」と仕えるようになります。

特に「孫権」には取り立てられ、

『丹陽』討伐ではいたる所で功績を挙げ、“平北都尉”となり、

《広徳県》の長に就任することができました。


208年、『赤壁の戦い』では、「周瑜」「程普」と共闘して、

『曹操軍』「曹仁」を包囲するなどの活躍も見せます。

また、敗北はしたものの、217年『合肥の戦い』では、

「凌統」と共に「曹操」の先鋒部隊の進出を防ぐなど、

『孫権軍』の重鎮ともなっていくのです。


「呂蒙」の活躍と言いますと、軍神とも言われる「関羽」の対決。

『呉』が『魏』と共に、「関羽」を征伐するべく動くのです。

219年、『樊城の戦い』に集中していた「関羽」を『蜀』との同盟を裏切ってまで、

攻め立てて追い詰め、「関羽」を討ち取るのです。


しかしその直後、病気になってしまい、「孫権」は相当に心配したそうですが、

そのまま死去してしまうのです。


『三国志演義』などでは、神様のように崇められる「関羽」を、

『蜀』との同盟を放棄してまで討ち取っている事から、

悪逆な人物として描かれ、また、病死も「関羽」に呪い殺されたと、

マイナスな描かれ方をされていますが、

これは、「関羽」の討伐にしか目を向けていない浅はかな考えなので―。


最近は「呂蒙」は、知勇に優れた人物として描かれており、

十分に見直されてきています。


子には「呂j」「呂覇」「呂睦」がいますが、

直系家系は続いていません。

トップへ
トップへ
戻る
戻る


陸遜 伯言
陸遜 伯言