『三国志』での主役にして、『蜀』の丞相[諸葛亮]の妻として、
名を与えられている女性です。
[黄月英]などの名前は、架空のものではありますが、
[諸葛亮]の子は知られているため、奥方はいたはずなのです。
また彼女の父、[黄承彦]は《荊州》の大豪族であり、有力者でした。
《荊州》を治める[劉表]と彼は義理の叔父甥であったので、
[劉表]の子である[劉g][劉j]とは義理の従兄弟同士になるそうです。
●『三国志』による記述
『三国志』の中でも『襄陽記』と呼ばれるものによれば、
[黄承彦]から[諸葛亮]に、“醜く、赤毛で色黒な娘”の縁談話があります。
しかし才知は[諸葛亮]の妻にふさわしいと言われ、
それを承知で[諸葛亮]は彼女を妻として迎え入れました。
しかし彼女が醜い娘であったと言われているため、
“孔明の嫁選び”という笑い話が広まってしまったのだとか。
ただ、彼女が具体的にどのような活躍をしたのかは正史では知られていません。
●史実以外での逸話
[諸葛亮]の妻であるということもあってか、
脚色がなされた話ではいろいろな活躍が有ります。
“木牛流馬”というのは、言わば手押し車なのですが、
これが[月英]の発明であるという話で、
これが実際に木偶人形として動いていたというものがあるのです。
まあ、夫の発明に妻が参加することがあるかもしれませんが、
実際に木偶人形として動くのはどうかと。
●異人説
『三国志』の英雄たちの妻は皆美人揃いなのに、
なぜ、[諸葛亮]の妻が醜いと言われるのか。
その理由の一つに外国人説があります。つまり、西方からの人物であったというのです。
他、実は美女であったということも言われています。
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