○来歴
『蜀』の皇帝となる[劉備]の義兄弟、[関羽]の長子ですが、
『三国志』と『三国志大戦』で記述が異なる人物の一人で、
『三国志』では、[関羽]の実子、
『三国志演義』では[関羽]の養子であり、
実父は[関定]という人物とされています。
『三国志』では“関羽伝”にのみ記述があり、
『樊城の戦い』での出来事が書かれているのみですが、
これが『三国志』史上で非常に重要な事件なため、[関平]はよく知られている方です。
●『三国志演義』での活躍
《河北》の[関定]の次男として登場する[関平]は、
[曹操]から逃れ、散り散りになった[劉備]義兄弟の再会場所の家で登場。
子がいない[関羽]は、[劉備]の取り成しで養子になりました。
[劉備]の養子である[劉封]とともに活躍することが多く、
《新野》での『曹操軍』[夏侯惇]が攻めてきた時、また、
[劉備]入蜀の際の《益州》での戦いが見られます。
しかし順風だった『劉備軍』に『孫権軍』との《荊州》での争いが起こり、
《樊城》を父と守っていた[関羽]は、『孫権軍』の[呂蒙]らの軍に敗北、
処断されて最期を向かえてしまうのでした―。
こうした『三国志演義』での出来事から、
[関羽]を祭っている霊廟では、[周倉]と共に、[関平]も祭られています。
また[関羽]と並んでの武勇もあることもあり、
[関平]の弟には、[関興]が有名ですが、
弟[関索]、妹[関銀屏]の民間伝承や、伝説が有名です。
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