『蜀国』の初代皇帝、[劉備]の義兄弟[張飛]の娘であり、
二代皇帝[劉禅]の皇后になります。
姉[敬哀皇后]が正室でありますが、237年(建興15年)に彼女が死去したため、
[劉禅]の正室になり、彼と共に『蜀』滅亡以後も生きています。
『三国志演義』などでは、姉の[敬哀皇后]と混同されていますが、
彼女も[張皇后]と呼ばれていた事がその理由であるようです。
さて彼女は[張飛]の娘ですが、
母は、『魏』の武将である[夏侯覇]の従姉妹で、
薪取りをしていたところを捕らえられ、[張飛]は自分の妻としました。
彼女は[夏侯氏]、または[夏侯月氏]と言われており、
正確な名前は伝わっていません。
そして[張苞]と二人の[張皇后]の姉妹が誕生したのです。
[張飛]の子と言いますと、[張苞]が有名なのですが、
彼女達は生没年が不明なので、彼の姉なのか妹なのかも分かりませんが、
創作物では妹にされる事が多いようですね。
父親譲りの武勇があったとも描かれる事があるのですが、
これは[張飛]の武勇が『三国志』ではあまりにも有名なため、
そこから作られた創作でしょう。
歴史的には[劉禅]の皇后であったということが重要です。
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