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『倉亭の戦い』
期間:201年(建安6年)
場所:倉亭
曹操軍(曹操など) 対 袁紹軍(袁紹など)
戦力:不明 対 不明(三国志演義によると30万)
結果:『曹操軍』の勝利、「袁紹」翌年に死去
前年の200年に群雄の一人「曹操」は《河北》で最大の勢力を誇っていた、
「袁紹」と『官渡の戦い』を繰り広げました。
『曹操軍』はこれに大勝し、その勢力をさらに拡大させます。
この『倉亭の戦い』は、『三国志』の『魏志 武帝紀』にある戦いで、
『官渡の戦い』で大敗した「袁紹」に追い討ちをかけるものとなりました。
「曹操」は《黄河》のほとりに軍を進めて、
再び『袁紹軍』を破ったとされています。
「袁紹」は、離散した軍を再び集めたそうで、
各地の反乱の鎮圧にあたりましたが、
彼の名誉が再来することはなく、202年には失意のうちに死去してしまいました。
「袁紹」は「曹操」の後方攪乱のために、「劉備」を派遣していましたが、
再び「曹操」に攻められる危険性を感じた劉備は、
《荊州》の「劉表」を頼って落ち延びていきます。
『袁氏』はこの後、後継者争いで荒れ、徹底的に「曹操」に攻められて、
完全に没落してしまいます。
一方で「曹操」は、各地を平定して《河北》の最大勢力となるのです。
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