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『白馬の戦い』
期間:200年(建安5年)2月〜4月冬
場所:白馬・延津(白馬県)
曹操軍(曹操、張遼、関羽) 対 袁紹軍(袁紹、顔良、文醜)
戦力:数万 対 数万
結果:『曹操軍』の勝利、『袁紹軍』「顔良」「文醜」討たれる。
『三国時代』における、「曹操」の強大なる覇権は、
『官渡の戦い』で決定的なものになりますが、これはその前哨戦となり、
当時の名門の一大勢力であった「袁紹」の力を大きく削ぐものとなりました。
「曹操」は「袁紹」とは同門の仲なのですが、
《河北》一帯はこの二人の二大勢力が争うものとなっており、
また「袁紹」は「劉備」も保護していたため、衝突するのは時間の問題でした。
「曹操」も天下を取るには「袁紹」を倒さなければなりません。
「袁紹」にとってみても、『後漢王朝』の皇帝をいいように利用するという、
「曹操」討伐の大義名分もありました。
『官渡の戦い』の前哨戦となった『白馬の戦い』は、
建安5年(西暦200年)の春に行われました。
「袁紹」は、「田豊」や「沮授」などの軍師らの反対を押し切って、
《黄河》を挟んで「曹操」らと対峙。
夏の4月頃に、「曹操」は、「于禁」「楽進」、「張遼」「関羽」を先鋒として、
機動力のある兵を用い、「顔良」らを奇襲。
「関羽」が「顔良」を討つのでした。
《白馬》の包囲網を解いた「曹操」はそのまま『延津の戦い』に突入。
略奪行為を行っていた『袁紹軍』の「文醜」を打ち破り、
名将として知られていた「顔良」「文醜」を打ち破った『曹操軍』の名声が上がります。
そしてこの戦いはそのまま、『曹操軍』と『袁紹軍』の一大決戦。
『官渡の戦い』へと繋がっていくのです。
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