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『下ヒの戦い』
期間:198年(建安3年)冬
場所:下ヒ(現:江蘇省ヒ州市付近)
曹操軍(曹操、荀攸、郭嘉) 対 呂布軍(呂布、張遼、陳宮、高順)
戦力:不明 対 不明
結果:『曹操軍』の勝利、「呂布」の処断、「張遼」の『曹操軍』登用
『三国志』前代最強の武将として知られる「呂布」は、
《徐州》で「劉備」の城を乗っ取るなどの猛威をしていましたが、
危険視をした「曹操」らによって、包囲網を気づかれることになりました。
「呂布」は「袁術」らに援軍を求めるものの見限られ、
三ヶ月以上もの篭城戦になりました。
『曹操軍』の「荀ケ」と「郭嘉」は、
《下ヒ城》の堤防を決壊させ、水攻めをすることを提案。
冬季の水攻めに『呂布軍』の士気は低下をし、
参謀の「陳宮」「高順」は反乱によって「曹操」に差し出され、
「呂布」も降伏。
後世の「呂布」の評価は、歴史上、彼のような人物が破滅しなかったためしはない。
というほどのもの。
篭城中に、自分だけ、豪勢な食事をして、酒ばかり飲み、
横暴ぶりを見せていたそうです。
「曹操」はこうした人物は嫌いだったのか、
「呂布」配下の武人、「張遼」は自らの軍に登用し、
「呂布」は処断をしてしまうのです。
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