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『山越』の《宣城》侵攻
期間:196年(建安元年)
場所:宣城(現:安徽省宣城市)
山越 対 孫策・孫権軍(孫策、孫権、周泰)
戦力:不明 対 不明
『山越』というのは後漢の頃から登場してきた、中国の南東部の少数民族で、
漢民族だけではなく、ヤオ族、モン族など、
東南アジアの諸民族も含んでおり、三国時代の中国南東部では、
『孫策軍』や『呉国』を悩まさせていました。
この頃、『孫家』の家長となった「孫策」は、
六県の『山越』征伐に乗り出すのですが、
その弟の「孫権」は《宣城》の防衛を任されていました。
しかし兵士が少ない上、油断していたところを、『山越』の反乱軍に急襲され、
「孫権」は命の危機に。
その時、「孫権」を救ったのは、彼が見込み、自分の配下においていた、
「周泰」という武将でした。
彼は人一倍の勇気を持って、味方を鼓舞して、
傷だらけになりながらも、身を挺して「孫権」を守ったのでした。
この武勇によって、「周泰」は「孫策」「孫権」兄弟からの感謝され、
大きく武勇を認められるものとなりました。
しかし結局のところ、『山越』と『呉』の抗争は当分続くのですが。
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