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西暦190年 『董卓による洛陽からの長安遷都』

190年『董卓による洛陽からの長安遷都』

期間:190年2月
場所:洛陽(現河南省洛陽市)
董卓軍(董卓等)対 曹操軍(曹操等)
戦力:? 対 ?


都、洛陽で暴虐の限りを尽くしていた董卓に業を煮やした諸将たちにより、

『反董卓連合軍』が結成される事になり、

袁紹、袁術等の有力者たちによって率いられた軍は、

董卓のいる都、洛陽へと近づいていきます。


董卓は、董卓は袁隗ら在京の袁氏一門を誅殺、

弘農王を毒殺。

さらに司徒の楊彪 太尉の黃琬、河南尹の朱儁の反対を

押し切って長安に強制的に遷都するという無謀な手段に出るのです。


この時、洛陽の歴代皇帝の墓を暴き、財宝を手に入れる、

宮殿や民家を焼き払うなど、悪逆の限りを尽くします。


この時、袁紹の制止を振り切った曹操軍によって、

董卓の追撃が行われるのですが、反撃にあって大敗し、

結局は董卓を長安に逃す結果になった。という話もあるそうですね。


『反董卓連合軍』は焼き払われた洛陽に入り、

この時、孫堅が井戸から“伝国の玉璽”を手に入れ、

権力を手に入れるきっかけとなった、ということが、

また大きく影響を受けていきます。


この董卓による遷都は、とかく彼の悪逆非道ぶりを見せてくれる、

そんな話でしょう。




西暦192年 『「董卓」の暗殺事件』
西暦192年 『「董卓」の暗殺事件』

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