西暦189年 『董卓暗殺未遂』

『董卓暗殺未遂』

期間:189年
場所:洛陽
曹操軍(曹操、夏侯淵等)対 董卓軍(董卓、呂布等)
戦力:不明 対 不明


こちらは戦や乱とは言い切れないものではありますが、

『三国志』などには必ずある、董卓から命を狙われた曹操が、

都、洛陽から脱出するという展開になります。


『黄巾の乱』前から朝廷の実権を握って、欲しいままにしていた、

十常侍を粛清した後、袁紹と袁術が宦官たちが虐殺。


その後、董卓が洛陽に上洛、少帝弁を廃して献帝協を立て、

朝廷を牛耳るのでした。

帝を立て上げて、自分は暴虐の限りを尽くしており、

曹操もこれに仲間入りさせられようとしますが、

暴虐ぶりを耐えかねた曹操は洛陽を脱出して、

故郷へと逃げ帰ります。


この際、董卓の配下であり、猛将とされていた呂布に襲われたものの、

命からがら、曹操も配下の夏侯淵達の助けもあって、

何とか脱出できたという話もあります。

これは正史よりも、『三国志演義』よりの話ではあるのですが。


この後、董卓は洛陽から長安に遷都して、

更に暴虐の限りを尽くして、ついには、曹操自らが、

周囲の有力な勢力に檄文を飛ばして、

『反董卓連合』が結成されることになるのでした。


西暦190年 『反董卓連合軍(陽人の戦い・水関・虎牢関の戦い)』
西暦190年 『反董卓連合軍(陽人の戦い・水関・虎牢関の戦い)』

トップへ
トップへ
戻る
戻る