西暦187年 『区星の乱』

期間:187年
場所:荊州南部(現:湖北省)
朝廷軍(漢軍)(孫堅、孫策等)対 区星軍(区星等)
戦力:不明 対 不明


三国鼎立という時代が訪れるまでは、まさしく群雄割拠であり、

中国大陸全土で乱が起きていました。

『後漢朝廷』がそんな乱の鎮圧に向かわせていたのが、

江東で武勇を奮う「孫堅」。


この時代、朝廷は完全に堕ちぶれており、宦官、「十常侍」のものでした。

「区星」はそんな朝廷に乱を起こした、荊州南部の人物でした。


「十常侍」らは、帝の命令と偽り、「孫堅」を《長沙》の太守に任命して、

討伐に向かわせるところ、

「孫堅」はこの時代の戦としては相当な早さ、50日で乱を鎮圧。

「区星」らを倒して、その報告を朝廷にします。

そして「孫堅」は、“烏程候”という地位になり、

更に有力な勢力となるのでした。


結果的に『後漢朝廷』は「董卓」のものになりますが、

『反董卓連合』に堂々と参加をして、最も武勇を示す「孫堅」は、

すでにこの時代から頭角を成していたのです。


ただ、『三国志』などでは主人公の「劉備」達とは関わりのほとんどない、

南の方での出来事でしたので、あまり知られてはいない乱になります。



西暦189年 『董卓暗殺未遂』
西暦189年 『董卓暗殺未遂』

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