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●来歴と『袁紹軍』時代
元々は若き頃に『黄巾』討伐の徴兵に応じた後、
[袁紹]に仕えて校尉になったという経歴がありました。
200年の『官渡の戦い』で[袁紹]と[曹操]が激突しますが、
[張コウ]は、[曹操]の軍略を警戒していたものの、
[袁紹]に聞き分けられずに『袁紹軍』は大敗して降伏。
[張コウ]はここで降伏して、[曹操]の配下の将軍として活躍します。
●『曹操軍』『魏』配下時代
[夏侯淵]などとは交流が深かったらしく、
219年『定軍山の戦い』で『蜀軍』と戦い、[夏侯淵]は戦死しますが、
彼の武勇を認め、[張コウ]もこの戦いで敗北するものの活躍します。
●対[諸葛亮]の“北伐”戦線で
[張コウ]の戦いは、231年『祁山の戦い』で流れ矢に当たって死去するまで続きました。
この時はもう老将だったのですが。
『魏』における歴戦の勇者であったのは確かだったようです。
敵国と描かれる物語にあっても、『魏』の国の勇将として、
必ず立ちふさがってくる事から、
[曹操]ら配下とはいえ、英雄の一人としての活躍が目立ちます。
その活躍が多いということもあり、吉川英治氏の『三国志』では、
3回も戦死しているというミスがあったりします。
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