黄巾の乱

『黄巾の乱』

期間:184年4月〜10月
場所:中国大陸ほぼ全土

対抗勢力
『後漢軍』(「何進」)対 『黄巾党』(「張角」)
兵力:不明 対 約36万


「蒼天已死 ?天當立 ?在甲子 天下大吉
(蒼天すでに死す、黄天まさに立つべし。歳は甲子に在りて、天下大吉)」と言い、

腐敗をしていく『後漢』の皇室を痛烈に批判した、

『黄巾党』の主、「張角」が起こした勢力、一種の宗教団体でもあります。

それを危機的に感じた、『後漢』の「霊帝」が、何進を大将軍として、

都亭に駐屯させ、八つの関に都尉を置き《洛陽》を守護。


各地の『黄巾党』を、後の『三国志』の英雄達が撃破していきます。

「波才」軍を、「曹操軍」が撃破。

「朱儁」揮下の「孫堅」の活躍もあり《宛城》は落城。

そして、さりげなく後の暴君である「董卓」は、逆に『張角軍』に負けていたりします。


「張角」は10月には病死をし、更に「張宝」も打ち倒され、

指導者を失い、『黄巾の乱』は収束。黄巾党もほぼ壊滅するのでした。


しかしながら、この乱の原因は元々『後漢』の政治腐敗にあったため、

結局のところ、戦乱は収まらず、

『黄巾党』の残党も反乱を繰り返していたのでした。

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涼州の乱
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