孫堅 文台

名:孫堅(そんけん)
字:文台(ぶんだい)
-Sun Jian-

諡号:武烈皇帝
廟号:始祖
あだ名:江東の虎

所属:朱儁軍→袁術軍
出生:呉郡富春県
生年:永寿元年(155年)又は同2年(156年)
没年:初平2年(191年)又は同3年(192年)
(享年37歳)

『真・三国無双』

CV:徳山靖彦
無双シリーズではもう貫禄のあるおじさんですね。
これで、30代の人とは…。
白髪?それとも銀髪なんでしょうかね?
「孫堅」は、父としての姿がとても格好いいですよね。


ドラマ『三国志版』

やはり「孫呉」の父として貫禄のある姿。
「董卓」からの誘惑を一蹴し、
きちんと『反董卓連合』でも活躍してくれました。

あとまだ幼い次男「孫権」が結構可愛いです。

『三国志大戦』

これはまた格好いいお姿です。
こちらは若き孫堅様。


「孫呉」という三国の一つを生み出すことになるきっかけの基盤を、

「孫策」「孫権」という息子たちと共に作り出し、

「孫権」が「呉」の初代皇帝になるという、偉大なる孫呉の武将です。


春秋時代の兵家・孫武の子孫とは言われていますが、

家柄の生まれはよくわかっておらず、

呉軍で海賊征伐等を17歳から行なっており、

朝廷からも信頼されていました。


「孫堅」は各地で反乱の鎮圧を行うなどして武功を立てていきますが、

やがて『黄巾の乱』が起こります。

彼は「宛城」の攻略等で大勝利を収め、さらにのし上がります。


その後、朝廷の権威を手に入れた「董卓」によって、

「孫堅」はいくつかの乱を鎮圧するために出兵しており、

「辺章・韓遂軍」などは、恐れをなして逃げてしまうほどだったとか。

やがて、「董卓」は暴君と化していきます。


『反董卓連合』に参加した「孫堅」は『陽人の戦い』などで大勝利を収めます。

さらに、「董卓」は「洛陽」の都を焼き払うのですが、

この後に、「孫堅」は、井戸の中から“伝国の玉璽”という、

皇帝を名乗ることができるものを手に入れるのでした。


この後、袁術の配下になった孫堅ですが、

「襄陽」の「劉表」を攻めた時に、一人でいた時、矢に当たり、死去してしまうのです。

数々の武功があったにもかかわらず、その最期は唐突にやってきてしまうのでした。

享年37歳という若さです。


よく『反董卓連合』での戦いが、「蜀」の「関羽」の武功と描かれがちですが、

それはあくまで『三国志演義』などの影響で、

実際に活躍したのは、「孫堅」だったりします。


さらに『三国志演義』での描かれ方として、

彼が、“伝国の玉璽”を手に入れ、皇帝になれると慢心したために、

不運な戦没をしたという話ですが、これはどうなのでしょうか?


ともあれ、「孫堅」は、「劉備」「曹操」よりも早くから『後漢』の朝廷に信頼され、

武勇を誇っていたのは事実。

それは息子たちにも立派に引き継がれたようですね。

また、彼の娘「孫尚香」も、武勇を持ち、勝気なお姫様になれたのは、

「孫堅」の影響が大きいのでしょう。

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孫権 仲謀
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