許攸 子遠



[許攸 子遠]
?年〜204年(建安9年)

吹替:池田ヒトシ


[曹操][袁紹]らと旧知の仲であり、[袁紹]には軍師にされ、

[田豊][郭図]などと共に『袁紹軍』を支えていたようですが、

このエピソードのように、『曹操軍』の補給路を襲撃して死命を制する、

という事が[袁紹]に聞き入れなくし、また家族が法を犯して逮捕されてしまったため、

[曹操]の元に降伏してきたという話です。


この物語では、『袁紹軍』唯一の人格者であるかのように描かれていますが、

結構、金銭面が貪欲だったという話もある他、

[曹操]に寝返ったということがよく描かれておらず、

小心者のように扱われているのだとか。


また、[曹操]腹心の[荀ケ]などにも、軽く見られていたとのことです。

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