文醜




[文醜] ?年〜200年(建安5年)
吹替:阪口周平

共に『袁紹軍』の勇将としてしられており、その筆頭でもあるという人物。

ただ、そういった強さをもてはやされて、

『白馬の戦い』で[関羽]にあっという間に倒される、という[関羽]の引き立て役。

でもあったりします。


[顔良]と[文醜]は幅広い指揮権と裁量権が与えられており、

それだけ[袁紹]に信頼されていたということでもありますが、

あっという間に《白馬》で倒された二人。[袁紹]らの動揺は、

並々ならぬものだったでしょう。


『三国志演義』では、『曹操軍』の[魏続][宗慶]を討ち取り、[徐晃]を撃退。

しかし[関羽]は、反撃の場もなく[顔良]を討ち取ったとされています。


そして彼と[文醜]は義兄弟の契りを交わしており、

復讐に燃える[文醜]でしたが、彼も[関羽]にあっという間に討ち取られたのでした。

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許攸 子遠
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