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第六部「天下三分」第八十集
時代背景:222年(『蜀』章武2年)(『魏』黄初3年)
『夷陵の戦い』
[劉備]自らが率いる『蜀軍』は、次々と『孫呉』の城を破っていき、
[孫権]らに脅威を与えていきます。
『孫呉』三代に仕えてきた[程普]が[沙摩柯]によって討ち取られるなど、
手柄があったものの、
戦の最中、五虎将軍の[黄忠]が矢に当たり、瀕死の重傷となってしまいます。
[黄忠]はそのまま死去。
“五虎将軍”の内、三人を失ってしまったことで、
ますます『孫呉』への戦いを進めなければならなくなった[劉備]。
《荊州》最後の要害となる《夷陵》を取られたら、
『孫呉』の地が危うくなるということで、
今まで監禁されていた[陸遜]は、[孫権]によって“大都督”に任じられます。
“大都督”に任じられた[陸遜]を立てるためか、
歴戦の勇将でありながら大敗をした[韓当][周泰]を、
敗戦の責任を取らせて処断すると言い出す[孫権]。
[陸遜]の年齢はまだ27歳であり、彼が“大都督”となったことも、
所詮は孫のようなものでしかないと、
完全に甘く見る[劉備]。
その攻撃に、次々と城を破られていく『孫呉』の軍でしたが、
あくまで[陸遜]は前の軍を囮として、後退を続け、
[劉備]は《夷陵》まで近づいてきていました。
軍を進めようとしない[陸遜]は年上の武将達の信頼が薄く、
臆しているのではないかと思われるのですが、
[陸遜]には策があるのでした。
それは『蜀軍』を疲弊させるだけというものだったのですが―。
[諸葛亮]は、[陸遜]に人にまさるものがあるからこそ選ばれたと、
そして[劉備]や軍への不安が拭い去れない状態でした。
[陸遜]はわざと《夷陵》の地に[劉備]を引き出していた、
と言うのです。
この頃、『蜀軍』は大いに疲弊をしており、
『孫呉』との決戦は間近に控えていたのです。
このエピソードの注目点
「“大都督”となった[陸遜]の策」
まだ“大都督”として任命されたばかりの[陸遜]。
注目の人物
[陸遜 伯言]
183年〜245年
吹替:壇 臣幸
『。
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