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第四部「荊州争奪」第五十五集
時代背景:210年(建安14年)
[孫小妹](孫尚香)と結婚した[劉備]は、
その命を狙われつつも《孫呉》での暮らしをしていていました。
しかしそれは、豪華な屋敷で酒を呑み、美人をはべらせるという、
今までの[劉備]からは想像もつかないほどの自堕落なものでした。
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この事に危惧を感じた[趙雲]や[孫乾]ら。
[趙雲]は[諸葛亮]から渡されていた、封書の一つを、
年末近くにあける約束を思い出し、その一つを開きます。
そこにあった命令による芝居なのか、
彼は[劉備]の前で激怒し、彼を叱責するということをしてのけます。
主に楯突いたと、仲違いをしてしまった[劉備]と[趙雲]。
[趙雲]は《荊州》へと連れ戻されてしまいます。
《荊州》に戻ってきた[趙雲]は、[諸葛亮]により、
[劉備]を見捨てたと罰せられるものとなり、
これが[関羽][張飛]の反感を買うことになります。
“美人の計”の謀であり、いてもたってもいられなくなった、
[関羽]と[張飛]は『呉』に乗り込むことを計画しますが、
[諸葛亮]に止められます。
そして再び[劉備]の元へ、自分がいかねばと戻っていく[趙雲]。
もちろんこのことは[周瑜]の知るところとなり、
[周瑜]は自分達の計略が上手くいっていると思うのです。
ですが、これらは[劉備]と[趙雲]、[諸葛亮]の体を張った芝居であり、
上手く《孫呉》から脱し《荊州》を増強させるという、
策に対してかけた策だったのです。
しかし、そのことを知らない[関羽]と[張飛]が今にも爆発しそうなため、
なるべく早い脱出を[劉備]は考えるのです。
更に夫婦であり、命の恩人でもある[孫尚香]も連れて帰りたいと、
[劉備]は[趙雲]に言うのでした。
そして事の次第を妻である[孫尚香]には話す[劉備]。
彼女の為を思い、自分にはついてこないように言うものの、
彼女は[劉備]についていく決意をしているのです。
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[劉備]の事情を察した彼女は、[周瑜]らに《荊州》に戻る理由として、
明日が自分の父親の命日であるため、
城を出る名分のため、参りにだけでも行きたいということを、
母の[呉国太]に話します。
しかしどうやら[呉国太]は娘の本心を見抜いていたようで―。
[呉国太]は、[周瑜]配下の[周泰]に内密に何かを命じるのです。
一方、《荊州》では、[諸葛亮]が[張飛]らの怒りを買い、
実は兄で[孫権]配下の[諸葛瑾]と共謀し、
[劉備]から独立しようとしているのではないかと、
恨みを買ってしまうのです。
[呉国太]はわざと酒宴の席を開き、[孫権]ら『呉』の主力達を集め、
酒に酔わせて、その隙に[劉備]達を城から行かせるのです。
しかし[劉備]らの脱出は、
すぐに[周瑜]配下の[呂蒙]らの知られるところとなり、
追撃部隊が出されます。
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[劉備]は水軍を避け、陸路で逃げようとしていましたが、
そこにも兵士達が追ってくるのでした―。
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このエピソードの注目点
「美人の計を制する者は誰か」
[周瑜]は“美人の計”によって[劉備]を骨抜きにして、
内紛させて《荊州》を取り戻そうとします。
この話で重要なのは、[劉備]達のどこまでが芝居だったのかということ。
出だしは[劉備]が完全に落ちぶれてしまったように見えますが、
これが、仲間割れをした風を装った芝居だったのか、
[諸葛亮]が仕組んだ計略なのか。
それに惑わされる事になるでしょう。
結局は[周瑜]の策から逃れ、《荊州》の兵を増強する策でしたが、
これが彼の怒りを買う事になってしまうのです。
《荊州》の争奪戦はまたしても危険な状態に―。
注目の人物
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[周泰 幼平]
?年〜?(222年〜229年)年
吹替:大羽武士
『呉』の[孫策][孫権]配下の勇将の一人。
『山越』という勢力の襲撃から、傷だらけで[孫権]と城を守った、
という武勇が有名な武将です。
さすがにドラマではそこまでやりきれませんが、
[孫権]配下、『呉』の武将として、『赤壁の戦い』『夷陵の戦い』などで、
度々名が上がっています。
はっきりと顔が出てきたのがこの話で、
目立った活躍もドラマ中ではあまり見られませんが、
歴代大都督達が移り変わりながらも、それぞれに仕え、
要所で活躍している姿が見られます。
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