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第一部「群雄割拠」第十八集
時代背景:198年(建安3年) 『下ヒの戦い』
[呂布]は《下ヒ城》に追い込まれることとなり、
再び連合を組んだ『曹操軍』『劉備軍』に対して、
籠城の構えとなりました。
[曹操]は[呂布]に言葉巧みに同盟を求めるものの、彼は拒否。
更に、[曹操]こそ真の逆賊と思っている[陳宮]は、
明らかな敵対心を見せており、両者が激突するのは時間の問題でした。
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この状況に『曹操軍』軍師の[郭嘉]は、
《下ヒ城》の構造を狙って、ある策を一案するのでした。
その頃、[貂蝉]は、風邪をこじらせて病に倒れてしまい、
それも危篤状態になってしまったというのです。
彼女のことを想うと自分を失ってしまう[呂布]は、
事もあろうか戦の準備さえないがしろにして、
[陳宮]はおろか、他の武将たちにも反感を買うようになってしまいました。
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そして、ここにやってきて、[郭嘉]による水攻めが起き、
[呂布]のいる《下ヒ城》は水没。もはや彼らの敗北は決定的なものとなったのです。
更に[曹操]から、[呂布]を生け捕りにして差し出せば、無罪にし、
しかも褒美までやるとのこと。
この事に激怒した[呂布]ですが、彼は[貂蝉]ばかり気にしており、
家臣たちの人望は失ってしまっていました。
そして、何人がかりで寝こみを襲われてしまい、部下達に捕らえられてしまう[呂布]。
ついに[曹操]に突き出されてしまうのでした。
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彼は、最後のあがきとして、“自分を配下にすれば天下は思うがまま”と言うのですが、
[曹操]は、彼をあざわらい、自分に仕える人物ではないとしてしまうのでした。
彼の命はもう助からないのです。
一方で、[陳宮]は[曹操]に仕えるように説得されるものの、そんな気は全くないとし、
さっさと処刑を促すのです。
そして[呂布]の処刑の場面―。
今まで共に生きてきた[貂蝉]は、その最期を共に迎えようとします。
更には、有能であると、[曹操]から惜しまれた[陳宮]は、
彼の恐ろしさを誰よりも理解していると言い放ち、
彼の配下になる誘いは断り、その最期を迎える決断をするのでした。
こうしてまた一つの勢力が天下から消えていったのです。
このエピソードの注目点
「一つの勢力の滅亡」
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このエピソードで描かれるのは、『下ヒの戦い』。
これは[呂布]にとって最期の地となり、そして、
一つの勢力が滅ぶ地でもあります。
今まで[呂布]といえば、力ばかりに頼って、それが原因で滅亡した、
凶暴な野獣としての生き様が象徴的でした。
しかしこの物語で描かれる彼は、[貂蝉]との恋愛劇が主軸。
物語によっては、ここまで[貂蝉]が生きてこれていなかったりします。
ですが、このドラマでは[貂蝉]とともに生きた[呂布]。その最期が劇的に描かれることに―。
注目の人物
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[郭嘉 奉公]
西暦:170年(憙平4年)〜207年(建安12年)
吹替:横堀悦夫
[荀ケ]、[程c]と並ぶ、『曹操軍』三大軍師の一人。
三人の中では最も若く、明晰な人物であり、
[曹操]からも相当に気に入られていた人物でもあります。
このエピソードでは、『下ヒの戦い』で、堤防を決壊させ、城を水没させ、
[呂布]を追い詰める姿が描かれています。それを提案したのが[郭嘉]。
彼に仕える前は、名前を隠してまで隠匿生活をしていたそうで、
その名前は余り知られていませんでした。
一度、[袁紹]に仕えようとしたこともあるそうですが、
彼の人柄のなさに失望してすぐに諦め、
[曹操]に仕えることになりました。数々の助言を行った彼は、
『下ヒの戦い』の他にも、[袁紹]との決着の地となる『官渡の戦い』でも、
対[袁紹]の策を数々に提言したと言います。
[曹操]曰く、[郭嘉]が生きていれば『赤壁の戦い』は負けなかった。
といわしめるほどの人物なのです。
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