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●来歴
元は「董卓」、「呂布」の配下であり、「呂布」と共に《徐州》などを支配する事に、
一役を買ったものの、彼らが滅ぼされてしまった後、
「曹操」にその才能を認められ、配下、中郎将・関内侯になりました。
そして『魏』の五大将軍筆頭。
言わば、[曹操]配下、最強の武将と言われるほどになります。
彼は「曹操」の元では様々な活躍を見せます。
『官渡の戦い』では先鋒を務めて、『袁紹軍』の「顔良」を倒し、
『合肥の戦い』では、イコール彼の活躍と言えるほど、
凄まじい事をやってのけました。
10万人の兵力で『呉』の「孫権」は『曹操軍』に攻めてくるのですが。
「張遼」は最前線に立って、敵陣に突入。
まさしく無双シリーズのゲームであるかのように、
敵を次々と倒していき、「孫権」もこれには驚いて逃走。
あと一歩の所まで追い詰め、「張遼」は「孫権」を威嚇までするのでした。
『合肥の戦い』では「張遼」の活躍で一気に『曹操軍』の士気が上がります。
その後、「曹丕」の時代、『曹魏』の国が正立しても、活躍をし続けますが、
『洞口の戦い』の際、戦には勝てても病には勝てなかった「張遼」は死去。
享年54歳。
『呉』では“泣く子も黙る張遼”、
「遼来遼来(張遼が来るぞ)」と、言われて恐れられていたようですが、
彼自身は、暴虐などは振るわず、あくまで実直な武人であったようです。
●『真・三國無双』シリーズにて。
無双では、硬派な武人として描かれています。
その姿が「曹操」に認められた事もあってか「呂布」は斬られ、
彼は配下にされるという事に。
動画で紹介している『合肥の戦い』はもちろんですが、
それ以前の『長坂の戦い』でも登場。
「曹操」の苛烈なやり方に、疑問を抱く。
そんなシーンもあるのでした。
最近では[呂布]配下時代の[張遼]も、硬派な武人として注目です。
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