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『界橋の戦い』
期間:192年(初平3年)
場所:《界橋》
対立勢力:袁紹軍(袁紹、田豊) 対 公孫サン軍(公孫サン、厳綱)
「董卓」の勢力に対立できる唯一の名族として知られる、
「袁紹」の行なった戦で、「孫堅」の援軍として袁術に派遣をしていた、
「公孫越」が戦死してしまったため、「公孫サン」が復讐のため、袁紹と対立し、
出陣を行います。
《界橋》にて、「袁紹」と幽州の辺りの豪族(現在の北朝鮮に近い辺り)
である、「公孫サン」が対立。
『公孫サン軍』も、騎兵を用いるものの、
『羌族』の戦術を熟知した「麴義」の奮闘により、
『袁紹軍』は「公孫サン」の部将の「厳綱」を捕虜にするなど勝利を収めるのでした。
「袁紹」はこれにより、更にその地位を高めていくのでした。
「袁紹」自体が優柔不断な武将として知られており、
あまり人気がないのですが、これも立派な戦の一つです。
この頃は、『三国志』でもあまり知られていない群雄達の、
群雄割拠の時代だったのです。
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