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『涼州の乱』
期間:184年
場所:涼州(甘粛省、寧夏回族自治区)
朝廷(漢軍)(董卓、孫堅等)対 韓遂軍(韓遂、馬騰、宋建等)
戦力:不明(数10万?) 対 不明(数10万?)
こちらは、『三国志』の主人公である、[劉備]、[曹操]、[孫堅]達は、
目立った参加をしていないので、あまり知られていない戦ではありますが、
後に彼らが対峙する事になる、[董卓]の影響力が多くなる戦です。
ほぼ『黄巾の乱』と同時期に起きているのです。
《涼州》では非漢民族、『羌族』の侵略が増え、
漢民族である、[韓遂]は『漢朝廷』の腐敗に絶望し、
朝廷に対して反旗を翻したのでした。
これは国同士の戦争というよりはむしろ反乱であり、
かなり長い間に続いたとされています。
双方10万を超える軍勢での戦となり、幾つもの師団が結成されますが、
その中で反乱軍を鎮圧したのは、後の暴君、[董卓]。
[韓遂]や[馬騰]らは降伏しますが、
[董卓]はこの反乱鎮圧で多大な功績を上げて、政界に復帰し、
《涼州》に多大な影響を持ち、後に政権を奪取するきっかけとなるのです。
つまりこの乱によって、力を得たのは[董卓]なのです。
[宋建]は自らの国を造り、『漢』から自立しますが、
30年の後、214年にようやく[夏侯淵]に征伐されるのでした。
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