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第四部「荊州争奪」第五十四集
時代背景:210年(建安14年)
『孫家』と縁戚になる。しかしそれは、[孫権]と[周瑜]が、
邪魔者の[劉備]を始末するための罠。
そう分かっていても、[孫権]の妹の[孫尚香]との縁談は、
婿を招いたところまでやってきました。
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[孫小妹](尚香)の母である[呉国太]は、
娘が一人、初老で50にもさしかかろうという[劉備]に嫁ぐことで、
誠に気が気でない様子。
しかしもし[劉備]を気に入ったら、笛を吹くことで合図を送る。
という約束をします。
《甘露寺》に招かれる事になった[劉備]は[趙雲]だけを護衛につかせ、
自分はあくまで縁組に来たのだという事を示してみせます。
この《甘露寺》でも肝心の嫁である、[孫尚香]は顔を出さず、
[劉備]が出会ったのは、その母の[呉国太]で、
どうやら早速、この孫呉の大奥様に気に入られる事になったようです。
しかし[周瑜]の放っている刺客である[呂蒙]達は、
彼を手に掛けようとし、これを[趙雲]に見ぬかれ、
場は非常に気まずい事になってしまうのでした。
この無礼な出来事に対しても、下手に出た[劉備]は、
そして自分の持つ『漢皇室』への忠義を語るのです。
その謙虚な態度と風貌が[孫尚香]に気に入られたのか、
彼女は笛を吹く、つまり[劉備]を気に入ったという合図を出すのです。
その信念を試す[劉備]は、剣を手にし、
《荊州》へと戻れ、大業をなせるならば、目の前の岩を砕ける。
と試しをし、これが岩が砕けたことにより、彼は無事に帰れる事を確信します。
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それを見ていた[孫権]は自分も、心のうちでは、
《荊州》を自分が取り戻せるなら、岩は砕けると、
そう願って岩を砕くのでした。
このどちらも本当ならば、歴史はどう動いていくのか。
新婦の家へとやってきた、[劉備]は、物々しい警戒が敷かれている、
その部屋に面食らうのですが、
それは[孫尚香]が剣術が趣味であるというので、
何と剣戟で勝たないとお引取り願うと言う事を侍女から言われます。
粗悪な剣を持たされようとも、そんなことではひるまない[劉備]は、
剣戟を繰り広げ、[孫尚香]に認められることとなり、
初めて出会った二人は、夫婦となるのでした。
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晴れて夫婦となり、[尚香]も[劉備]を気に入ったということで、
母の[呉国太]も幸せそうにはなりましたが、
やはり陰謀の渦中にいることは変わらず。
[周瑜]は、[孫尚香]が一度も外へと出た事がない娘だから、
《荊州》へとやってしまうのではなく、
もっとこの孫呉の地にいさせようと[呉国太]に提案するのでした。
つまり、自分達の監視下において身動きをとらせないということ。
[劉備]は[尚香]のためを思って、もうしばらく『孫呉』にいる、
しかし[周瑜]は自分達を返そうとはしないことも見抜いていました。
[周瑜]はこうなってしまった以上、
[劉備]を遊興や美女で骨抜きにさせ《荊州》を忘れさせ、
この地を混乱させてしまう、美人の計を計ります。
元は庶民であり、苦渋をなめてきた[劉備]ならば、
この策に落ちるだろうとの判断でした。
このエピソードの注目点
「婿となった[劉備]に与えられる試練」
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夫婦になればそれで幸せ、であれば、
ここまで重きをおいて描くことのない『三国志』の一幕。
[劉備]と[孫尚香]の縁組は、創作も多いのですが、
『孫呉』との縁談があったのは事実。
全ては[周瑜]らが[劉備]から《荊州》を取り戻すための、
政略婚ですが、[孫尚香]が気に入って夫婦となってしまったため、
物語はより複雑になってくるのです。
しかし本当に最終的な結末を考えると、
何とも不甲斐ない話になってしまうものです。
その辺りが歴史物である所以でしょうか。
注目の人物
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[呂蒙 子明]
178年~219年
吹替:成田剣
『孫呉』の勇将にして、大都督になる人物の一人。
この頃は、[周瑜]配下の根っからの武人であり、
血気盛んでありながら、[劉備]の命を常に狙っているという人物で描かれ、
彼が大都督にまでなった時代に、
[劉備]陣営と戦う事にもなるのです。そして最終的には―。
そのような顛末から、短絡的には悪人のように描かれますが、
若い時代こそ、血気盛んで、暴力的な行為もしていたのですが、
あるときから学問にも身を投じる事となり、
[孫策]に非凡さを認められて側近となるのでした。
この物語では[周瑜]の側近としての姿が目立ちますが、
『合肥の戦い』『濡須口の戦い』などで[凌統][甘寧]と共に戦ったという、
武勇伝も多くあるのが[呂蒙]の本来の姿です。
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