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[曹植 子建]
192年(初平3年)〜232年(太和6年)
吹替:鈴木一敦
[曹操]の息子で五男。母は[卞氏]。
幼いころより詩文に天才的な頭脳を発揮し、[曹操]に寵愛されていましたが、
酒を多くのみ、また奔放さを持っていたため、
[曹操]の怒りを買う事もあったとのこと。
[曹操]亡き前から、後継者争いで長男の[曹丕]と争う事になり、
結局は[曹丕]太子に、そして皇帝になってから、
[曹植]は各地を転々とする不遇な時代を送ります。
しかし彼の詩文の才能は後世にも認められ、現在にも残っている、
ものが多くて非常に有名です。
特に“七歩詩”は真作ではないと言われていますが、
これが[曹植]たらしめているものとしているのです。
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